

一錠
頭が痛い日に、一錠飲む。
飲むときに水を用意するのが面倒で、だいたい台所で立ったまま飲む。
錠剤はシートから押し出す形で、指で押すと銀色の裏が破れる。
破れた穴が、飲んだ回数ぶん増えていく。
シートを見ると、今月どれくらい飲んだかが分かる。
分かるので、あんまり見ないようにしている。
見ないようにしているのに、押し出すときには必ず目に入る。
入るから、押すときだけ少し申し訳ない気持ちになる。
誰に対する申し訳なさなのかは、よく分からない。
三十分
三十分くらいで、だいたい効く。
効いたかどうかは、痛みが消えたことでは気づかない。
気づくのは、いつのまにか別のことを考えているときだ。
さっきまで、頭の中の八割が痛みだった。
それが、買い物のことに変わっている。
変わったことに、あとから気づく。
治った瞬間というものが、たぶん無い。
始まった瞬間も、実は無い。
気づいたら痛くて、気づいたら痛くなくなっている。
その二つの瞬間だけ、自分では掴めていない。
どこにいるのか
それで、いつも同じことを思う。
効いているあいだ、痛みはどこにいるんやろ、と。
消えたわけではないと思う。
原因は何も変わっていない。
寝不足も、肩も、天気も、そのままだ。
そのままなのに、こっちには届かなくなっている。
届かないだけで、向こうはずっとそこにいる。
部屋にたとえるなら、たぶん、外に出されただけだ。
外に出されたものは、こちらから見えない。
見えないものを、人は無くなったと言いがちだ。
言いがちなのは、見えないほうが都合がいいからだと思う。
都合がいいものを、わざわざ疑う元気は、頭が痛い日には無い。
切れたとき
夜になると、切れる。
切れたときの痛みは、飲む前より強い気がする。
たぶん実際は同じで、間が空いたぶん驚いているだけだと思う。
驚くのは、こっちが「もう終わったこと」にしていたからだ。
終わったことにしていたぶん、倍に感じる。
ただ、二錠目は飲まない。
飲まないと決めているわけではない。
飲む前に、こっちが寝てしまうだけだ。
明日も仕事で、明日も迎えがある。
あるのに、取りに行く前にこっちが落ちている。
だから、戻ってきた痛みのほうは、そのまま朝まで置きっぱなしになる。
置きっぱなしにしたことは、朝にはもう忘れている。
効かせ方
昼に飲むほうは、使い方としてはたぶん正しい。
痛いまま仕事をして、痛いまま迎えに行って、痛いまま風呂に入れるよりは、飲んだほうがいい。
飲んだほうがいいのは、こっちの都合だけではない。
痛い顔をしている人が家にいると、家じゅうの温度が下がる。
下げないために飲む、というのが、たぶんいちばん正直な理由だ。
正直な理由だけれど、家族に言ったことはない。
言うと、なんとなく恩着せがましくなる。
恩着せがましくなるのが嫌で、黙って飲んで、黙って普通の顔をしている。
普通の顔をしているので、たぶん誰も知らない。
知らないほうがいい、と思ってやっているけれど、本当にそうかは分からない。
泣かないの
四歳が泣いているときに、こっちが言っていることが、だいたい同じ形をしている。
大丈夫、大丈夫。
もう終わったやろ。
そんなに痛くないって。
言っている内容は全部「痛みを外に出す」ほうの言葉だ。
原因は何も変わっていないのに、届かなくしようとしている。
やっていることが、薬とほぼ同じだった。
同じだと気づいたのは、わりと最近だ。
気づいてからも、言う言葉はそんなに変わっていない。
効いてはいる
そして、これがけっこう効く。
言うと、止まる。
止まるので、こっちは成功したと思う。
四歳は、止まったあとに一回だけこっちの顔を見る。
その顔のことは、こっちはすぐ忘れる。
覚えているのは、成功したと思った回数のほうだ。
止まったのは、収まったからではなくて、外に出されたからかもしれない。
その可能性を、止まった瞬間は考えない。
考えないまま、次の用事に移る。
用事はいつでもあるので、いくらでも移れる。
うちは、すぐ次に移れる。
移れるほうが、たぶん、うまく回っている。
うちでは、泣いた時間が短いほど、その日はうまくいったことになる。
うまくいった日の記録が、こっちの頭の中に溜まっていく。
溜まった記録には、止めた側の都合しか書いていない。
朝
朝の支度の途中で泣かれた日のことを、いちばんよく覚えている。
何で泣いていたのかは、正直もう思い出せない。
覚えているのは、こっちが言った言葉のほうだ。
早く。
急いで。
その二つしか言っていない。
泣いている中身には、一度も触れていない。
触れる時間が無い、と思っていたけれど、たぶん触れたくもなかった。
触れると、長くなるからだ。
長くなると、間に合わない。
間に合わせるために、理由のほうを飛ばした。
飛ばしたことは、その朝は誰にも分からない。
止めたあと、その日は何も起きない。
何も起きないので、終わったことになる。
起きるとしたら、たぶん別の日だ。
別の日に、関係の無さそうな場面で急に泣く。
こっちは、その場面の理由を探す。
探しても見つからないときは「眠いんやろ」で片づける。
四歳も一歳も、眠い時間は毎日あるので、いつでも当てはまる。
片づけた回数も、けっこうあると思う。
眠いんやろ、は便利な言葉だ。
だいたい合っているし、誰も傷つかないし、その場で終わる。
終わるので、次の日も使える。
次の日も使えるものは、たいてい、何も解いていない。
置き場
痛み止めの場合、痛みには置き場がある。
体の中にそのままあって、薬が切れれば戻ってくる。
戻ってくるので、原因を直さないといけないことが分かる。
体のほうは、そういう作りになっている。
感情のほうには、その仕組みが無い気がする。
外に出されたものが、どこに置かれているのか分からない。
いつ戻ってくるのかも、向こう次第だ。
決まっていないので、戻ってきたときに、それが同じものだと気づけない。
気づけないまま、別の名前をつけることになる。
わがまま、とか、反抗期、とか、そういう名前だ。
名前をつけてしまうと、そこで調べるのをやめる。
やめた時点で、置き場はもう探されない。
一歳のほう
一歳は、言葉で止められない。
大丈夫と言っても通じないので、抱くか、場所を変えるか、物を渡すしかない。
物を渡すのは、正直いちばん速い。
速いので、つい使う。
使ったあと、渡した物のほうを覚えていて、泣いていた理由は覚えていない。
覚えていないのは、こっちが理由を聞いていないからだ。
聞けないから聞いていないのか、速く済ませたいから聞いていないのか、自分でも分からない。
たぶん、半分ずつやと思う。
半分ずつのうち、速く済ませたいほうの半分は、こっちの体調で増える。
頭が痛い日は、確実に増えている。
薬を飲んで、こっちの痛みを外に出した手で、向こうの泣き声も外に出している。
同じ手で二回やっている日が、月に何回かあると思う。
同じ言葉
「そんなこと気にせんでいい」。
家で、親に言われた言葉だ。
何を気にしていたのかは、こっちももう覚えていない。
覚えていないのに、言われたことだけが残っている。
言われた側からすると、あれは慰めの形をしている。
形が優しいので、その場ではちゃんと収まる。
収まったあと、気にしていたもののほうがどこへ行ったのかは、誰も教えてくれない。
たぶん、こっちも昔、同じことをされている。
されたことを、悪かったとは思っていない。
あのときの大人も、たぶん急いでいた。
急いでいる人が使える道具は、止めるほうしか無い。
止めるほうの道具は、よく効くし、その場では誰も損をしない。
損が出るのは、だいたいあとの日だ。
あとの日には、もうその道具を使った人はいない。
いないところで、置かれたものだけが残っている。
残っているものに、誰も名前をつけていない。
名前が無いので、本人も説明できない。
説明できないものを持っている人を、こっちは「よく分からない子」と呼んでしまう。
呼ばれた子は、自分でも分からないので、そうなんやと思う。
飲まない日
痛み止めを飲まない日もある。
飲まないで済む日ではなくて、飲むのを忘れている日だ。
忘れているあいだ、けっこう普通に過ごしている。
夜になって、そういえば今日飲んでないな、と気づく。
気づいてから、少し痛い気がしてくる。
気がしてくるのは、たぶん名前をつけたからだと思う。
名前をつけると、そこにあることになる。
名前をつけなければ、無かったことにできる。
家の中で毎日やっているのは、たぶんそっちのほうだ。
シート
台所の引き出しに、押し出したあとのシートが何枚か入っている。
全部使い切ったものと、一錠だけ残っているものが混ざっている。
一錠だけ残っているのを捨てられないのは、その一錠にまだ用事があるからだ。
用事があるうちは、捨てない。
泣いている理由のほうも、たぶん同じところに入っている。
聞いていないだけで、捨ててはいない。
捨てていないなら、いつか出てくると思っている。
出てきたときに、それを「今のこと」だと思わないでいられるか。
四歳が急に泣いた日に、今日のことではないかもしれない、と一回だけ思えるか。
たぶん、そこだけやと思う。
そこだけのために、止めた回数を、少し数えておこうと思っている。
数えると嫌になるので、シートと同じで、あんまり見ないと思うけれど。







しべさんのこのお子さんとのお話も、二段階認証のお話なのかな、と思って読みました☺️表に出さなかった感情は消えてない、そこに残っている。ほんとにそうで、数十年そこにあることに気づかずにいる人がほとんどです
しべさん、おはよ。
私も息子が空手に行くのを嫌がっていると分かっているとき、気づかないふりをして、淡々と準備を進めることがあります。
気持ちに触れると、間に合わなくなるから。
こうして考えると、これも「痛みを外に出す」のと一緒なのかもしれません。